961990 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

懐かしの映画館

大脱走


大脱走


The Great Escape
Steve McQueen


大脱走




今回の「懐かしの映画」は、スティーブ・マックイーンがオートバイで脱走する姿が、映画屈指の名シーンとして称えられる1963年制作のアメリカ映画「大脱走」をお送りします。


大脱走
この映画は、第二次世界大戦中の1944年に、実際にドイツ空軍管轄下の捕虜収容所(ドイツ・サガン近郊、独軍第3捕虜収容所)でイギリス空軍少佐ロジャー・ブッシェル指揮のもと起こった脱走劇を映画化したものです。

さて、製作者兼監督は「荒野の3軍曹」のジョン・スタージェスで、撮影は「ウエスト・サイド物語」でアカデミー賞を獲得したダニエル・L・ファップ、また脚色は「アスファルト・ジャングル」の著書で知られるW・R・バーネットとジェームズ・クラベルが共同で担当しており、「終身犯」のエルマー・バーンスタインが作曲したメインテーマ『大脱走マーチ』は余りにも有名です。

また、出演者は「戦う翼」のスティーヴ・マックィーンをはじめ、「噂の二人」のジェームズ・ガーナー、英国からリチャード・アッテンボロー、「ロベレ将軍」のハンネス・メッセマー、チャールズ・ブロンスン、ジェームズ・コバーンなど豪華な顔ぶれとなっています。




大脱走大脱走

製作・ジョン・スタージェス、(ジェームズ・クラヴェル)
監督・ジョン・スタージェス
原作・ポール・ブリックヒル
脚色・ジェームズ・クラヴェル、W・R・バーネット
撮影・ダニエル・ファップ
音楽・エルマー・バーンスタイン
編集・フェリス・ウェブスター
出演 スティーブ・マックイーン(独房王・ヒルツ)
ジェームズ・ガーナー(調達屋・ヘンドリー)
リチャード・アッテンボロー(ビッグX・バートレット)
ジェームズ・コバーン(製造屋・セジウィック)
チャールズ・ブロンソン(トンネルキング・ダニー)
ドナルド・プレザンス(偽造屋・コリン)
デイヴィッド・マッカラム(砂処理屋・アシュレー) 
ハンネス・メッセマー(ルーガー所長)
ジェームズ・ドナルド(先任将校・ラムゼイ) 
ゴードン・ジャクソン(マクドナルド中尉)



大脱走


---物語---


大脱走第二次世界大戦の最中、連合軍空軍将校の札つきの脱走常習者に頭を悩ましていたドイツは、新たに作った北部第3捕虜収容所に、彼らを集めて監視することにしました。しかし連行されてきた脱走兵からは、早くも“心臓男"と異名をとったヒルツ(スティーブ・マックィーン)が鉄条網を調べ始め、またヘンドレー(ジェームズ・ガーナー)はベンチをトラックから盗み出す始末です。


大脱走まもなく、ビッグXと呼ばれる空軍中隊長バートレット(リチャード・アッテンボー)が入ると、大規模な脱走計画が立てられました。それは、250名が逃げ出すという奇想天外な企みで、まずは、トンネル堀のダニー(チャールズ・ブロンソン)らによって、トム・ディック・ハリーと名付けられた森へ抜ける数百フィートのトンネルが同時に掘り始められました。


大脱走そして、トムが完成間近となった7月4日、ヒルツたちが密造酒を振舞ってアメリカ独立記念日を祝っている最中、収容所内を点検していたドイツ監視兵によってトムは発覚し、つぶされてしまいます。しかし、これ以後もほかの2本は掘り続けられ、その内のハリーがついに完成します。


大脱走いよいよ脱走当日の夜、ハリーは測量ミスから予定の森より6メートル手前までしか届いていませんでしたが、ヒルツがロープで合図したお陰で76名が脱走に成功します。彼らは国境を目指してドイツ国内を逃げますが、それを必死に追うドイツ軍とゲシュタポ・・・果たして彼らは無事に逃げ切ることが出来るのでしょうか・・・







大脱走スティーヴ・マックィーン
生年月日 1930年3月24日
出身地 アメリカ/インディアナ州

飛行機の曲乗り師だった父は生後6カ月で蒸発。母方の伯父のもと、ミズーリの牧場で育つ。9歳、12歳の時にと母が二度再婚し、ロサンジェルスに移るが不良グループと交際。14歳でカリフォルニアの少年院に収容され1年半を送る。出所後、職を転々とし、兵役後もそれが続いたが、女友達の勧めで51年からネイバーフット・プレイハウスにて演技を学ぶ。更にHGスタジオやアクターズ・スタジオでも演劇を学び、舞台を経ての56年、「傷だらけの栄光」で映画デビュー。以後、CBSテレビの「拳銃無宿」で人気スターとなり以後はアクション・スターとして数々の作品に出演。カー・レーサーとしても有名で、ブルース・リーやチャック・ノリスの門下生でもあった。日本には裁判に出廷するためだけに来日したことも。肺ガンにより80年に死亡。彼の遺灰は太平洋にまかれた。結婚は56年、ニール・アダムス、73年、アリ・マッグロー、80年バーバラ・ミンディと三回。ニールとの間に生れたチャド・マックィーンはその後俳優に。




大脱走ジェームズ・ガーナー
生年月日 1928年4月7日
出身地 アメリカ/オクラホマ州

高校卒業後、テキサスの油田で働いた後、50年に陸軍に入隊して朝鮮戦争に従軍するが、負傷して名誉戦傷章を与えられ除隊。その後UCLAで経済学を学ぶが、俳優に憧れるようになりNYへ移住。ハーバード・バーコフに師事して演技を学ぶ。やがて幼なじみのプロデューサーのツテを頼りにブロードウェイの舞台に上がり、その時の演技が認められワーナーと契約。57年の「ロケット・パイロット」で映画デビューを飾る。その後同年スタートのTVシリーズ「マーベリック」に主演して一躍お茶の間の人気者になった。その後は「大脱走」、「グラン・プリ」、「墓石と決闘」、そしてTVシリーズ「保安官ニコルス」と代表作が続くが、何と言っても彼の陽気で飄々とした個性を遺憾なく発揮したのは、74年スタートのTVシリーズ「ロックフォードの事件メモ」だろう。その後このシリーズはスペシャル版も作られ、90年後半にも復活し、人気の高いところが窺える。また「マーヴェリック」は94年にメル・ギブソン主演で映画化され、主人公の父親役で出演も果たした。56年に結婚し、ふたりの娘がいる。



大脱走リチャード・アッテンボロー
生年月日 1923年8月29日
出身地 イギリス/ケンブリッジ

王立演劇アカデミーに学び、俳優として舞台や映画で活躍、性格俳優として評価され多数の映画に出演する。60年の「紳士同盟」や63年の「大脱走」あたりから魅力的な脇役として異彩を放っていたが、演出にも興味を抱き69年のミュージカル「素晴らしき戦争」で監督デビュー。その後は俳優と監督の二足のわらじで活躍を続け、82年の「ガンジー」でアカデミー監督賞を獲得。以降も「コーラスライン」、「遠い夜明け」など、多彩振りを発揮して話題作を造った。76年にはナイトの称号を授与されている。テレビ局のBFI、チャンネル4などの会長、ユニセフの親善大使、王立演劇アカデミーの議長に就任したこともある。最近では「ジュラシック・パーク」のオーナー役が有名。45年、シーラ・シムと結婚。息子のマイケルは舞台監督として活躍。動物学者のとして有名なデヴィッド・アッテンボローは弟にあたる。



大脱走ジェームズ・コバーン
生年月日 1928年8月31日
出身地 アメリカ/ネブラスカ州ローレル

5歳の時に一家でLAに移住。50年にロサンジェルス・シティ・カレッジ卒業後、陸軍に招集され二年間ドイツで無線を担当。その頃に演技に興味を示し、除隊後たった23ドルを手にNYへ。ステラ・アドラーに師事して間もなくテレビCMに出演。やがてオフ・ブロードウェイに進出しTVドラマへの出演と幸運も続いた。59年に西部劇で映画デビュー。翌年「荒野の七人」でナイフ投げの名人ブリット役に抜擢され注目を浴びる。その後、長身と独特の風貌が受けて「大脱走」、「電撃フリントGO!GO作戦」などに出演。特にセルジオ・レオーネの「夕陽のギャングたち」やペキンパーの「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」、「戦争のはらわた」などで男性ファンの人気を高めた。ブルース・リーに弟子入りするなど空手の使い手としても有名で、「サイレントフルート」ではリーと原案を手掛けて製作もするはずだったが、彼が亡くなったために実現はしなかった(サンディ・ハワードが製作を引き継ぎ77年に完成)。59年に結婚して二児の父となったが79年に離婚。息子は映画のサウンド・ミキサーとなった。93年に再婚。98年には「白い刻印」でアカデミー助演賞を受賞。ヨガや仏教の研究家としても有名である。02年、心臓発作を起こして帰らぬ人となってしまった。



大脱走チャールズ・ブロンソン
生年月日 1921年11月3日
出身地 アメリカ/ペンシルヴェニア州

リトアニア移民の父の下、15人兄弟の五男として生まれる。高校卒業後、家計を助けるために炭坑夫など様々な職に就き、43年空軍に入隊。B29の射撃手となった。46年に除隊後美術学校に入学して舞台の裏方となりエキストラも経験。48年に友人と共にNYに移住して舞台に端役として出演するように。その後LAへ移りパサディナ・プレイハウスで演技を勉強。51年映画デビュー。当時は本名を名乗っていたがその後“Charles Buchinski”に改名。「太鼓の響き」からブロンソン名義になった。そして60年の「荒野の七人」、63年の「大脱走」で共に男臭い風貌が人気を呼んで俳優としての地位を確立。「さらば友よ」や「雨の訪問者」で国際的にもスターとなった。日本ではマンダムのCMで一世を風靡。外人タレントのCM起用の先駆けとなった。その後も独特の個性を活かしてアクション作品で活躍。近年は「狼よさらば」の主人公、ポール・カージイの復讐劇を描いた“デス・ウィッシュ”シリーズで健在なところをアピールした。49年の女優と結婚してふたりの子供も出来たが67年に離婚。翌年ジル・アイアランドと再婚して多数の作品で共演。しかし彼女が乳ガンを患い90年に死別。その後98年に再婚した。しかし彼自身もアルツハイマーとの闘いの末、03年に肺炎でこの世を去った。



大脱走デヴィッド・マッカラム
生年月日 1933年9月19日
出身地 イギリス/スコットランド

5歳の時に一家でLAに移住。50年にロサンジェルス・シティ・カレッジ卒業後、陸軍に招集され二年間ドイツで無線を担当。その頃に演技に興味を示し、除隊後たった23ドルを手にNYへ。ステラ・アドラーに師事して間もなくテレビCMに出演。やがてオフ・ブロードウェイに進出しTVドラマへの出演と幸運も続いた。59年に西部劇で映画デビュー。翌年「荒野の七人」でナイフ投げの名人ブリット役に抜擢され注目を浴びる。その後、長身と独特の風貌が受けて「大脱走」、「電撃フリントGO!GO作戦」などに出演。特にセルジオ・レオーネの「夕陽のギャングたち」やペキンパーの「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」、「戦争のはらわた」などで男性ファンの人気を高めた。ブルース・リーに弟子入りするなど空手の使い手としても有名で、「サイレントフルート」ではリーと原案を手掛けて製作もするはずだったが、彼が亡くなったために実現はしなかった(サンディ・ハワードが製作を引き継ぎ77年に完成)。59年に結婚して二児の父となったが79年に離婚。息子は映画のサウンド・ミキサーとなった。93年に再婚。98年には「白い刻印」でアカデミー助演賞を受賞。ヨガや仏教の研究家としても有名である。02年、心臓発作を起こして帰らぬ人となってしまった。


大脱走      大脱走



大脱走この映画の原作は、当時英空軍スピットファイヤー・パイロットで、実際にこの大仕事に参加していたポール・ブリックヒルが、1950年に出版した著書“ザ・グレート・エスケープ"で、この脱走により、捕虜の捜索にドイツ軍は7万もの兵士を投入するなど多大な労力を要し、結果的に連合国にとって戦局を有利に導いた事はあまり知られていないことです。また、脱走に頭を痛めたドイツ軍は50名もの脱走兵を殺害していますが、映画内で示されるこの人数はほぼ史実通りであります。
一方、マックィーンのバイクアクションシーンは、公開時に全編ノースタントで行ったと宣伝されていましたが、実際は映画会社の許可がおりなかったため、一部の危険なジャンプシークエンスについてはバド・イーキンズが代行したそうです。
なお、脱出するために掘る穴での作業の描写に関しては、ダニーを演じたチャールズ・ブロンソンが少年時代に、兄弟と共に炭坑夫として働いたことがあったことから、彼のアドバイスが生かされています。







aikon


rain


© Rakuten Group, Inc.